やり直しの英語 その50 シャドーイングをやるまえに、発声練習したほうがいいんでは
シャドーイングになってから、なかなか進まなくなっています。
目だけで追って次々に行くことのできる単語を覚えるのとはわけが違います。
シャドーイングは声に出さないといけないため、場所を選びます。
さらに音を聞いてということですので、準備もいります。
ちょっとした条件のようにみえますけど、学校へ行っているわけではありませんので、
こんな条件でもそろえるには、それなりの努力が必要です。
単語覚えるは、INPUTのみと考えていいですけど、シャドーイングは
INPUTに対してOUTPUTすることも必要となります。
INPUTに慣れてきているといいますかOUTPUTをほとんどしてこなかった私の勉強方法では
頭がちょっとついていかず、気軽にやるというレベルにまで達していないです。
どうやら、アウトプットを気軽にやってこなかったは、英語学習のハードルのようです。
私だけが特別なやり方をしてきたわけではありませんので、多くの方も同じような感じではないかと思われます。
よく言われる、話すことが出来ない人が多いは、話す、つまりアウトプットすることに慣れていないので
感覚的にやりにくいとなってしまうのではないかと、勝手な分析をしています。
音読の教科書ももちろん持っていますが、それらには音読をすることによって、頭の中にさらに英語を刷り込むという
説明がよくされています。
確かにそれは本当でしょうし、納得できるものですけど、自分でやって気が付いたには、
刷り込む前にアウトプットするということにあまりにも慣れていないというところが高いハードルになっているように
感じます。
歌うことが好きな人は、いつでも歌をくちずさむことが出来ますが、音楽は好きでも歌うのはどうもというひとは、
さあ誰も見ていないから歌いなさいと言われてもなかなか歌えないといったことと
同じじゃないかなと思います。
歌うのはいまひとつという人が、教科書に英語学習のために、まずはこれを歌いましょうと書かれていたとしても、
まあ歌わないのではないでしょうか。
それと同じで、声に出して英語を話す、つまり音読をやってこなかった人が、音読をしましょうと言われてもかなりつらい。
ましてやシャドーイングなどとんでもないといったことになるような気がします。
こうしてみると、音読、シャドーイングをやる前に、英語の単語でも歌でもなんでもいいけど、声に出すというところを
導入としてやったほうがいいのではないでしょうか。
それが慣れてきたら、ようやく音読をやってみる。
私が学習本を企画するとしたら、そんなものにしてみたいものです。