やり直しの英語 その72 語学に大切なこと。それは発声すること。
専門家によっても、音として声に出すは言語を知るうえで基本的なことだそうです。
私などは、シャドーイングが大切だとか音読は効果あるとか、言語の専門家ではない先生がたや
記事を書かれている方の意見だけで発声をしています。
結果としては専門家のかたの推奨となんらかわらないわけですが、なぜそうしなければならないかの説明が
他のかたとは違います。
言語とはという切り口で入っていきます。
まず、言語は地球にどれぐらい存在しているかというのをこれを読まれているかたはご存じでしょうか。
私同様知らないと思いますが、1000以上あるそうです。
私なんかが知っているからといって数えられる言語は20以下じゃないでしょう。
まずこの数の多さに圧倒されます。
言語とはそもそも私がおもっているよりも相当多い数存在します。
数が多いということ自身については驚く程度なんですけど、肝心なのは、この言語の中で文字を持っているものは10%ないそうです。
言語の数が多いだけでなく、文字を持たない言語は相当数あるということにはちょっと驚きを隠せません。
文字を持たない言語は私はたぶんひとつも知りません。
さて、これでお分かりでしょうか。言語というものは、そもそも音というものが中心だということです。
なのでそういう言語から考えると言語は読むが中心にはならないわけです。
これも得た知識で恐縮ですが、英語も、はじめから今の形が出来上がってきたわけではなく
侵略の歴史などから、変遷をえて、現在の英語となっています。
そういえば、フランス語由来とかラテン語由来とかそういったものが今も残っていますが、
それらはイングランドを支配した民族などの歴史的なものが入っているからです。
そういうことですから、はじめから今のアルファベットを基本として英語が成立していたわけではないというのも
驚くべき事実かもしれません。
日本語も古文と比べれば変遷を遂げてきていますが、外来からの侵略の歴史はありませんので、極端に日本語が変わったという話は
ないわけですが、海外ではそうはいかないわけです。
英語ですらそういう状況ですから、文字がどうのこうのの前に音が中心だったであろうは想像にかたくありません。
よって本来の言語の性格ということから考えて、発声ありきということになります。
よって、音読が大切などと経験で語るものではなく、言語だから声に出すが基本となります。
ただ、英語の場合は文字がありますので、その文字を使って発声するということで語学を行うということになるというわけです。
いかがでしょうか。
経験上、音読が、シャドーイングが語学習にとって大切というのは、それは経験によるものではなく、
非常に当たり前のことであり疑う予知のないものということになります。
すこしは勉強になりましたでしょうか。