健康 痛みを共有できることはとてもありがたい
心の痛みを他の人と共有できると自分自身の気持ちがとても楽になるのは
誰もが知っていることです。
私が空手の師範から教わったことのひとつは、「自分自身が痛みを知ることで
他人の痛みも理解することができるようになる」 ということです。
ここでいう痛みは、コンタクトされたときの痛みのことで、物理的に痛いというやつです。
ここで師範は何を伝えたいかといいますと、コンタクトされた痛みを知っていると他の人へコンタクトは出来なくなる。
平たくいえば、弱いものへの暴力は出来なくなるということです。
また、暴力を受けた人の痛みを共有することができるということでもあります。
ここでは空手の話をしたいわけではありません。
痛みには耐えられる痛みと耐えられない痛みがあります。
耐えられる痛みは実は過去などに経験しているために
予想がつく痛みです。
よって、想定内ということですので、それを痛いとあまり感じなくなります。
耐えられない痛みは、そもそも耐えられないほど痛いのは除きますが、経験したことのない痛みです。
今回リハビリを続けているわけですけど、かなり痛く感じます。
それは、経験したことのない痛みですので、耐えられない痛みとして感じるからです。
ところが、理学療法士の方は、自分がそのような痛みを実際に経験したはずはないのですけど、こちらの痛みの加減を
見事に感じてくれます。
なぜそれがわかるんですかと聞いたところ、何百人もの患者の治療をしていると、だんだんとわかってくるそうです。
こうやってわかってくれる、つまり痛みを共有してくれるのはこちらとしては大変ありがたいことです。
そんなのは無理だろうと思っていたわけですけど、見事に共有してくれます。
これがプロなんでしょう。
こちらも、共有してくれるということで、安心感が出ます。
痛いながらも、続けないといけないのがリハビリなだけに、続ける気にさせてくれるのは大変ありがたいです。
ドラマなどで「俺の痛みなんかお前らにわかってたまるかあ」なんていうセリフをよく聞きますけど、
結構わかってくれてる人いるみたいよとつい冷静な回答をしたくなります。
リハビリの痛みが理解できる人がいるわけですから、心の痛みも専門家でなくても、理解できるひとたちいるに違いありませんので。