空手 久々の組手は気持ちが入ります。師範の指導のありがたさにも気持ちが入ります。
少年部の相手はさせてもらいますが、一般部の人たちとの組手はほとんど行いません。
理由は道場生がなかなか集まらないためです。
昨日は試合が近いということもあって、参加メンバーの人と組手による実践練習をさせてもらいました。
それも結構な時間、師範による指導を受けながらの組手です。
稽古というものはどれもそうですが、仲間同志で練習するのと、師範の指導を受けながらの練習とでは
練習の質がかなり違います。
自分ひとりでやる場合もそうですが、うまくいかないのはなんとなくわかりますけど、
ではなぜうまくいかないのかは、なかなかわからないものです。
ひとつは、自分を第三者的に眺めるということができませんので、感覚だけでしかわからないからです。
それを確認するにはビデオを撮るといったことが考えられますが、効率のいいやり方というわけにはいきません。
そこを指導を受けながらやりますと、動きひとつで指導が入りますので、それは密度の濃い練習になります。
学校の勉強なども、教える先生がいながら、まったく面白くないと感じるのが普通です。
うるさいなあ先生はぐらいの扱いです。
ところがこのような稽古では先生が絶対でかつ先生がいるからこそ上達するわけですから、
その有難さというのは体で感じることができ、しかもそれを感じるまでにそれほどかかりません。
これが学校の勉強であっても同じなのですが、なぜか、そこまで有難く感じないのは、出来ていなかった私がいうのも
おこがましいですけど、考えるともったいない話です。
もちろん、最後には理解できるわけですが、そのときは勉強から離れてだいぶたったあとなどといったことかもしれません。
空手の稽古でもはじめのうちは、単なる指示としか捉えておらず、指導の有難さなど
まず感じません。
やはり、ある程度力が付いてきて、それを自分ひとりでは簡単に伸ばせないことを思い知ったときにはじめて
指導のありがたさを知るわけですが、学校の勉強で先生のありがたさを理解するよりはずっと早く
感じることができます。
勉強のように、かなり離れてからそれがわかるのではなく、やっている最中に気が付くところが一番いいところでしょう。
指導者のありがたさ、先生のありがたさ、これを出来るだけ早いうちに感じ取ることが大切なことでしょう。