教会へ行ってみたら、そこは神の世界であり素晴らしい人間の世界だった
宗教の話は、政治の話と同様に一般的な会話としてはTabooとされています。
そのどちらも、少々話し合ったからといって、違った意見を持っている人同士の場合は、
その意見の一致を見ることもないでしょうし、お互いの立場を理解しあうことも少なく
会話にならないからです。
しかし、これは自分の信条として、肩入れしているものがある場合であって、
特に何もないという人たちですと話すことがTabooというわけではありません。
かといって、盛り上がる話とはなりそうもないので、結果としてタブー扱いにしたほうが無難です。
そんなタブーとされがちな宗教の話を少し紹介したいと思います。
キリスト教にまったく興味もなければ身内にもそのような人がいないのに、いきなりキリスト教会に足を運ぶなんてことを
した人は誰もいないと思います。
親がミッション系の大学を出ていた関係で、私も何やらよくわからないうちから、母親に連れられてミッション大学付属の
日曜学校(日曜にやる、子供向け教会行事です)に毎週行ってました。
そんな大学が歩いてすぐのところに二つもあったという環境ということもあり、キリスト教は何やら不思議なものではなく
ごく近い存在でした。
その後、中学生あたりで引っ越しをしてからは、そういった環境から離れるわけですから、すっかりと教会とは縁が切れてしまったわけです。
まったく縁が切れたわけではないため、たまに思い出したかのように知っている教会へ顔をだしたりしていました。
今回も10年以上訪れていない教会へまた行ってまいりました。
私なんかが参加させてもらっている教会もそうですけど、キリスト教信者でなくても、
問題なく入室できて、説教を聞くことができます。
だからといって、勧誘などを行うといったことも一切ありません。
聖書を少し読み、牧師の説教を聞き、オルガンに合わせて賛美歌を歌い(プロテスタントの場合です)
献金をしたあと、業務連絡のような報告があって、礼拝は終わります。
数回祈るという場面が出てきますが、そこも合わせてじっと聞いているだけで問題ありません。
どのように進行するのかといったものも配られて、賛美歌集や聖書をもっていないときは
貸してくれます。
聖書はまあいえば、神と人間のドラマについて多く語られていますので、説教ではそれを読んだあとに
牧師が具体的な自分のことであったり、よく知っておられる人の話を例に出して
聖書でいうところは、こういうことなんですよという解説になります。
この説教がとても素晴らしく、これを聞いただけで、心が洗われるような気がするはずです。
人間は強くはなく弱いです。私も弱いです。しかし神のおかげで、出来なかったことや
ひどいことをしてしまったことについて悔い改めることができます。
といったような話になりますので、本当に身近な、誰もが経験するであろう
ことについて 知っていてもらったほうがいいという内容をずばり話してくれます。
そのままでも十分な話なのですけど、教会ですから、そこに聖書の1節をからめるという
ことが入ります。
スーパーマンのような牧師がいて、とにかく神に祈りなさい。聖書にもかいてあるとおり、
人間はこうすべきだといった、我々ではとても
出来そうにないことを高圧的に話すわけではありません。
この説教と、生のオルガン演奏を聴くだけで、素晴らしいところだと思えるわけです。
しかしですね、もっと素晴らしいことがあるのです。
それは、そこに参加されているかたがたの人間性といいますか、やさしさといいますか
そういったものがそれは素晴らしいのです。
今回は時間がないため、礼拝が終わったあと、さっさと引き上げてきましたが、
次回以降は、礼拝後のちょっとした茶話会に参加して、いろんなかたの話や
牧師さんの生の話を聞いてみたいと思っています。