【Note】いつかは終わるものばかりをやらないほうがいい
何をおかしなこと言っているのと言われそうですが・・・
時間が出来たらやりたいことっていうのが多分皆さんも多くお持ちだと思うんですね。
そういう私も時間の余裕が出来るたびにまた何かしたいなあと
プランを新しくねったりします。
このようにすれば、未来永劫やることがなくなることはない、常に予定はいっぱいだと
考えていたんですけど、どうもそんなにうまく行かないこともあるようです。
そんなことを少し書いてみます。
それを考えるきっかけになったのは、ある友達の行動からです。
彼は自由な時間がそこそこ出来たことによって、今までやりたくても出来なかったこと
やらなくてはならないのに手をつけていなかったこと、
それらを一気に精力的にやりはじめました。
これまでになかったほど充実しているといつも語っていました。
そんな彼が2年そこそこで、まあいや昔の状態に戻っていたのです。
自宅で静かに過ごすようになったのです。
その生活が悪いわけではなく、もちろんそれはそれで悠々自適といえるかもしれませんが
充実感は消え失せ得てしまっていたのです。
どうして、あれほど精力的だったのに、今は静かになってしまったのかということを
彼の話から探っていたところ、なぜそうなったかに気が付きました。
やりたかったこと自身はビッグなイベントだったかもしれませんが、
これまでは時間がなかったからやれなかっただけで、
時間が出来るとやり遂げられるものです。
やり遂げたあとは、やったあという達成感も得られるでしょう。
ところが、用意していたものは、どれも時間があればなんとかなるもの
ばかりでした。
つまり、どれも終わりがあるのです。
終わりがあるわけですから、時間がたてばさぼっていないかぎり
少しづつ終わっていきます。
そのときに、次のものを探せばいいわけですけど、とにかくすべて
片付けたいという気持ちが先行しますから、片付けてしまうまで
突っ走ります。
すべて終わると、それこそやり遂げたと最高の気分になります。
それがよくないのではと考えました。
それは燃え尽き症候群というものに近いものです。
全力で打ち込み、そしてすべてが終わったと思ったとたん、
そこで最高のテンションになったものの、力を抜いたとたん
脱力感におそわれ、次の目標がたてられないまま
時間を無駄に過してしまいます。
ここで、何か少しでも、続けているものがあったら良かったのですけど、
それがないため、やるものが一切なくなってしまい、
本人によれば次の目標をたてる気にもならないようです。
私は常々、英語学習には終わりがないから、一生ものと
考えていますけど、そんな英語学習でも続けていれば、そんな状況に
ならなかったと思います。
英語学習をやりなさいということではありませんが、そんな
終わりがあるようでない、そういったものを必ず1つや2つは持ち合わせていないと
彼のように、精力的にやれる期間が結果としてあまり長くならないことに
なるかもしれません。
マラソンで言えば前半はかなりのハイピッチで走っていたものの、後半は立ち止まったり歩いていたりしている
ようなものです。
結果として制限時間内にゴールできずに失格。
それよりは、遅いペースでも、しっかりと前向いて走り続けていれば、
必ずゴール出来るほうがいいということでしょうか。