【NOTE】英語以外の言語を勉強する意義はあとからでも見つかる

学生でもないし、ドイツ圏に常駐する予定もなければ行く予定もしばらくはない。
さらに現在のドイツ人は英語を話せる人の比率がかなり増えていて
ビジネスや観光ではドイツ語を使う必要性はほとんどない。
こういう環境でありながら、私はドイツ語を教えてもらっています。
軽い気持ちで参加したドイツ語教室の見学終わりに
「来週からも、この教室に参加されますよね」というようなことを
ドイツ語で言われ、思わず、”Ja ”と答えて8か月ほど過ぎました。
英語に飽き足らず、スペイン語とかイタリア語も勉強している方は
確かにおられますが、ドイツ語を勉強してるはちょっと聞いたことありません。
語学習をやられるかたは、なんらかのやる理由をお持ちでしょう。
学生なら受験だから仕方なくでしょうけど、社会人になってからは英語であっても
学習するにはなんらかのやるための理由がかならずお持ちです。
その点私は何もなくやってますから、しかも英語ではありません。
そのため、あとづけでドイツ語を勉強する意義をさがしました。
勉強するのに、それも語学ですから継続しなければやらないほうがましということになりますので
なんとかモチベーション維持のためにさがします。
それがあとづけでも見つかってしまうのです。
それはクラシック音楽でした。
ドイツ、オーストリアは音楽の巨匠を数多く輩出しています。
その巨匠が作った歌曲とかオペラの言語はそうですドイツ語が主流です。
芸術ですので、それを例えば英語に翻訳してどうのこうのはあまり意味ありません。
その言語だからこそ価値があります。
そういったものを直接理解するために勉強しなくてはならないんだと言い聞かせるわけです。
なかなか高尚ともいえる目的意識に聞こえます。
そんなレベルで8か月ほど教室に通ってるわけですけど、持っているモーツアルト「魔笛」のオペラブックを
ちょっと開いてみたところ、それが少しわかるんですね。
対訳を見ると、なるほどってなものでドイツ語で読み進められます。
これはすごい進歩です。
何冊も持ってるオペラブックは持ってることに自己満足しているだけで、
開いたことがほとんどなかったわけですけど、
何十年もたって使えるようになりました。
なかなか理解してもらえないとは思いますが、私にとっては感動そのものです。
さらに最近気が付いたこととしては、教科書のことです。
オーストリア人のかたに教わっているので、教科書はドイツの出版社の有名な本ですが
これがおもしろいんです。
日本人の感覚では、そんなことはしないなとか、そんな話をしないなとかドイツ人の
感覚が教科書を通じて伝わってきます。
先生も補足をしてくれますので、リアルな話も聞けます。
季節や地理的な話も出てきますので、ドイツ圏についての知識がかなり深くなります。
ドイツ人のかたに日本語を教える機会がありますが、そこで聞く話はリアルな今のドイツの話です。
それを含めて今私の中では、ドイツ圏を中心として、世界各国を学んでいる感覚です。
ここまで来ますと、勉強する意義をあえて探す必要はないのかもしれません。
英語もたいして使えないのに、他言語なんてとてもとてもと思われているかたも結構おられるかも
しれませんが、一度やってみることを私としてはおすすめしたいです。