空手を続けている人は人格者と呼べる
空手をずっと続けられている人というのはかなり少ないというのは、想像できるかと思います。
空手に限らず稽古と呼ばれるものは、どれもが続けるのは難しいものです。
こと空手については、ある年齢をこえてくると(空手ではシニアは35歳以上です)年齢とともに落ちてくる体力を補うかのように稽古を続けることになりますから、
それはもう厳しくなってきます。
体力勝負だけであれば、空手も続けることは難しいものですが、技術がありますので、体力が仮に落ちたとしても
そんなスキルを上げていくことは可能です。
そのためいつまでも続けるのは厳しいとはいうものの、上達することが不可能ということではありません。
そんな空手ですので、続けられている方は、相当な人格者と呼ばれてもおかしくないと思われるかたがたです。
そういう方と出来れば、お試しでも、稽古に参加させてもらうとこのことがよくわかります。
稽古後に後片付けなどしているときに、道場生というわけではなくて話す機会もありますが
そこで話してみるとさらに、よくわかります。
たまたま空手の話ですが、こういった自分を鍛えるような稽古事は自分を鍛えよう、自分を鍛えてもらおうといった
素直にそしてコツコツと努力しているような人にだけしか続けることが出来ないということがよくわかります。
それを数年どころか何十年も続ける気ですから、これはもう人格者と呼んで問題ないかと思います。
入門以来やめよう、さぼろうとばかり考えていて、それでも辞める勇気もなく、一度も休まず続けて2年近く経ったぐらいのことです。試合でどうやら足を痛めてしまい、歩けない感じになったため、病院にいくと即ギプス、松葉づえといったときがありました。
その次の日は、稽古日ですので、こうなってしまいましたと師範に報告。
私はやったあ、しばらく堂々と休めると思っていたのですけど、そのあと道場生に、足をやられているので、足を蹴らないように
という指示が出ただけで、早く着替えろと言われ稽古に参加したことがあります。
甘かった。そんなのは稽古を休む理由にはならないんだと納得して、それ以降休むことはあきらめてしまいました。
今回、その人格者と呼べるような女性のかたが稽古に参加に来ていたのですけど、なんと、まともに歩けず足を引きずっているんです。
聞くと、階段を急いで降りたときに、昔やった膝の故障が出たとかでした。
そのときに彼女が語ったには、やはり稽古には出ないとでした。
いかがでしょうか。
皆さんだったら、どうでしょうか。休むのではありませんか。
これほどの人だからこそ、いつまでも続けることが出来るんです。
空手だからとか関係ないです。生き方そのものがここに出ていると考えてます。