墓参りをすると、その家の栄枯盛衰を感じることが出来ます
墓参りをする習慣のあるお家ですと、墓参りは少なくとも1年に1回はやることでしょう。
しかし、私が知る限りでは、そういうお家は少ないのではないでしょうか。
そうなってしまう理由としては墓そのものが遠いというのがあるでしょう。
昨今は墓終いが増えているぐらいですから、参る墓とかがないという家もあるかと思います。
あるらしいけれどもどこにあるのか知らないという場合もあるでしょう。
私の家では、墓はありますが遠くて、ちょっと参ってくるという距離にはありません。
とはいえ前回の記事のように苦労して墓地をみつけましたが、そこであることに気が付きます。
それは何かと言いますと、墓によって、その墓の下に眠っているかたがたの家系が
どうなったかということが見えてきます。
今ある墓を他人が勝手に取り除くということはありませんので、一度建った墓は
身内が墓終いをしたり、移動させないかぎり、そこにずっと残っています。
今回訪れた墓ですが、しばらく誰も参った様子がないため、立派な墓ではあったものの
ふきっさらしになったままという感じでした。
母が久しぶりに参ったぐらいじゃないでしょうか。
どうしてそうなったかと言いますと、家の跡取りというのがいなくなり
その家そのものはなくなったわけです。
元の住居もなくなっていました。
そうなりますと、近くにその家の縁者がいないかぎり、誰も参ることはありません。
母によると、かつては裕福な家だったそうですが、最終的には潰れてしまい
墓に参る人もほとんどいなくなったということのようです。
墓としては立派でも、誰も参った様子がないというのは
まさにそういったことだろうと思います。
こういう見方を墓にしてみますと、
墓を建てたお家が現在どうなっているのかがわかってきます。
参る人がいない場合は仕方ないとしても、参ることが出来るのに参らないのは
墓として何かさみしい感じがしました。
参る墓があるようでしたら、たまには墓参りをしてあげたほうがそこに眠っている人たちが
喜ぶような気がします。